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はじめに

脂質の役割と言えば,外界との障壁をなす膜を作り出す成分,あるいはトリグリセリド(油や脂肪の主成分)などのエネルギー源しか思いつかないかもしれない。また,トリグリセリドやコレステロールといったメタボリックシンドローム関連脂質を連想することから,脂質に対して負のイメージを持つ人も多いだろう。しかし,脂質は「水に不溶の生体分子」と定義されることからも分かるように生体内にはトリグリセリドやコレステロール以外にも多様な分子群が存在する。脂質の役割は多岐に渡り,細胞・組織機能において不可欠である。また,脂質分子は病態という点でも重要である。様々な脂質分子の代謝異常は疾患を引き起こし,脂質の役割を利用した薬剤も多数知られている。生化学研究室では脂質,特にスフィンゴ脂質や極長鎖脂肪酸の総合的な理解のため,酵母,培養細胞,マウスなどのモデル生物を用いて生理的・病態における役割,代謝,フリップ・フロップなどの動態,タンパク質のパルミトイル化などについて解析を行っている(図1)。これらの詳細についてはこのホームページの各セクション以外にも我々の総説1-16)を参照されたい。

Fig1
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研究概要

脂質分子は他の生体分子であるアミノ酸,核酸,糖と比べて圧倒的に多様性に富む(脂質の超多様性)。哺乳類の脂質分子は主にグリセロ脂質,スフィンゴ脂質,コレステロールに大別されるが,これらは骨格の種類と極性基の違いによってさらに細かく分類される。特にスフィンゴ脂質には異なった糖鎖構造を持つ数百種類のスフィンゴ糖脂質が存在する2,5)。脂質の多様性は極性基に留まらず,各脂質の脂肪酸部分の多様性(鎖長,不飽和度,水酸化)を考慮にいれると数十万種にものぼる2)。これらの脂質の超多様性は生物の進化とともに急速に拡大しており,細菌にはコレステロールやスフィンゴ脂質が存在しない。単に脂質が細胞・細胞内小器官の障壁をなすという役割のみを持つだけであれば,生体膜は細菌のような比較的少ない種類の脂質でまかなえるはずである。しかし,長い時間をかけて多様化/多細胞へと進化し,環境に適応してきた結果,種の多様性と多彩な組織・細胞が産み出され,同時に生体膜を構成している脂質も生物,組織・細胞に 特化した特殊機能を有するものが生み出されてきたと想像される。

 生化学研究室では脂質の中でも特に多様性・多機能性に富むスフィンゴ脂質に重点を置いた研究を行っている(図1)。スフィンゴ脂質の疎水性骨格はセラミドであり,長鎖塩基と脂肪酸がアミド結合した構造を持つ。スフィンゴ脂質は皮膚バリア形成,神経機能,耐糖能,バクテリア毒素・ウイルス認識,免疫,血管形成,骨形成などの様々な生理機能を有し,皮膚疾患,神経疾患,メタボリックシンドローム,癌などの様々な病態と関連する2,3,6)

 我々はこれまで,スフィンゴ脂質の代謝に関わる数多くの遺伝子を同定・解析してきた(図1,ピンク)。特にスフィンゴシン1-リン酸を介したスフィンゴ脂質の分解系に関しては,長年不明であった経路の全貌解明とそこで働く酵素遺伝子群の同定に成功している2,5,7,9,10,17)。スフィンゴシン1−リン酸は,血漿中に数百nMの濃度で存在する脂質メディエーターとして有名であり,血管系・免疫系において重要な働きをしている15,16)。免疫系での働きを利用した免疫調整剤フィンゴリモド(開発コード名 FTY720)は近年多発性硬化症治療薬として臨床応用されている14)。スフィンゴシン1−リン酸は脂質メディエーターとしてだけではなく,スフィンゴ脂質代謝経路の重要な代謝中間体としての側面も持つ。この役割は酵母からヒトに至るまで保存されており,進化の過程では脂質メディエーターとしての役割よりも古く,普遍的なものである。哺乳類の主要な長鎖塩基はスフィンゴシン1-リン酸の前駆体であるスフィンゴシンだが,4位に水酸基を持つフィトスフィンゴシンは皮膚,小腸,腎臓などの特異的な組織に存在する。我々はフィトスフィンゴシンの代謝経路についても解析を行い,2-ヒドロキシパルミチン酸を経て,奇数鎖脂肪酸(ペンタデカン酸)へと変換されることを近年明らかにした1,2,18)

 スフィンゴ脂質を構成する脂肪酸は,鎖長が長いことが特徴的である。グリセロ脂質を構成する脂肪酸の殆どが長鎖脂肪酸(炭素数11-20)であるのに対し,スフィンゴ脂質を構成する脂肪酸には炭素数22,24といった極長鎖脂肪酸(炭素数 ≧21)が多い2,8,11-13)。極長鎖脂肪酸は小胞体に存在する脂肪酸伸長酵素群によって産生される。生化学的研究室では極長鎖脂肪酸が産生される分子メカニズムについての解析を行っている。

 スフィンゴ脂質骨格であるセラミドは全身に存在するが,スフィンゴ脂質生合成の中間体であるため,一般的に量は多くない。しかし,例外的に表皮には多量のセラミドが存在し,構造多様性にも富んでいる2,4)。表皮のセラミドには,炭素数 ≧26の超長鎖脂肪酸を含有するものが多く存在する。特に炭素数 ≧30のセラミドはオメガ末端がリノール酸でアシル化されたアシルセラミドとして表皮特異的に存在する。セラミド,その中でも特にアシルセラミドは皮膚バリア形成において最も重要な脂質である2,4)。表皮のセラミド/アシルセラミドの量,質的な変化は皮膚のバリア異常につながり,魚鱗癬やアトピー性皮膚炎などの皮膚疾患を引き起こす。アシルセラミド産生の分子機構には不明な点が多く残されており,生化学研究室ではその解明に向けて解析中であるが,最近我々はアシルセラミド産生過程で働く脂肪酸ω水酸化酵素 CYP4F22 と PNPLA1 の同定に成功した19, 20)

 スフィンゴ脂質は細胞膜の外層に多く存在する。一方でグリセロリン脂質のうちホスファチジルコリンは外層,ホスファチジルエタノールアミン,ホスファチジルセリン,ホスファチジルイノシトールは内層に多く存在する。このように脂質分子が外層と内層に異なった組成で存在することを脂質非対称と呼ぶ21)。脂質非対称の維持は,膜の安定性や小胞輸送に重要である。一方,脂質非対称の局所的あるいは全体的な変化は細胞分裂,アポトーシス,血液凝固反応を引き起こすために必要である。我々はこれまで脂質非対称の変化を感知し,元に戻そうとする機構が存在することを見出しており,脂質の非対称を感知し,下流にシグナルを伝える分子機構について解析を行っている。

 脂肪酸は脂質分子に取り込まれるだけでなく,タンパク質の翻訳後修飾(アシル化)にも用いられる。パルミトイル化(S-アシル化)は最も一般的な脂質修飾であり,Ras や GPCR などシグナル伝達に働くタンパク質や PSD-95 などの神経タンパク質に多く見られる。パルミトイル化を触媒する酵素はプロテインアシルトランスフェラーゼ(PAT)と呼ばれる。現在までにヒトで23種の DHHC タンパク質が PAT として同定されて おり13)DHHC 遺伝子の変異は様々な癌や神経疾患と関連している。生化学的研究室では DHHC タンパク質の組織特異性,細胞内局在,基質特異性の違いなどを明らかにしてきた。

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