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5. マイバム脂質によるドライアイ防止

 涙液は油層と液層(水層,ムチン層)から構成されており(図 11),最も外側にある油層は水分蒸発の防止や表面張力の低下という役割を持つ。涙液油層に存在する脂質は瞼の裏側にあるマイボーム腺から分泌されるため,総称してマイバム脂質と呼ばれる。近年,パソコンやスマートフォンの普及,エアコンの使用などの生活環境の変化に伴い,ドライアイ患者が増加している。ドライアイの約8割はマイボーム腺の機能異常,すなわち油層の異常であることが知られているが,現在のドライアイの治療薬には水層とムチン層をターゲットにしたものしか存在しない。

 マイバム脂質の主成分はコレステリルエステル(30−67%)とワックスモノエステル(30−48%)であり,共に炭素鎖長が長い(C20−34)という特徴を持つ。これらの脂質の極性は極めて低く,油層の中でも非極性サブレーヤーを構成すると考えられている(図 11)。一方,マイバム脂質には O-アシル-ω-水酸化脂肪酸(OAHFA)などの両親媒性の脂質も少ないながら(1−5%)存在し,非極性サブレーヤーと水層の間に両親媒性サブレーヤーを形成し,両層を繋ぎ止める役割があると考えられている。しかし,これまで涙液油層に関する研究は極めて少なく,マイバム脂質産生の分子機構,個々の脂質の役割,性質上馴染むことができない水と脂質が涙液で安定的に維持されているメカニズムなど,不明な点が多く残されていた。

Fig11  [図拡大]

 生化学研究室では,極長鎖脂肪酸の産生に働く脂肪酸伸長酵素 Elovl1 の変異マウス(新生致死性を回避するため,表皮以外の組織で Elovl1 が欠損するように設計されたマウス)がドライアイを示すことを明らかにした1)プレスリリース原稿)。このマウスは若齢期において瞬きの増加と眼球からの水分蒸散亢進を示したが,5ヶ月齢以降ではヒトの重症ドライアイ患者で観察されるような角膜混濁を示した。マイバム脂質の主成分であるコレステリルエステルとワックスモノエステルを質量分析法(液体クロマトグラフィー連結タンデム質量分析法;LC-MS/MS)で解析した結果,飽和型が共に炭素鎖長平均で約3短くなっていることが明らかとなった。これらの結果はドライアイを防止するために涙液脂質の長さ,すなわち質(クオリティ)が重要であることを初めて示したものである。

 OAHFA は両親媒性サブレーヤーを構成し,両側にある非極性サブレーヤーと水層を安定的に繋ぎ止めていると考えられているが,実験的な証拠は存在しなかった。OAHFA の役割を解明するためには,まず OAHFA の産生に関わる遺伝子を明らかにし,その遺伝子変異マウスを作成することで OAHFA を持たないモデルを確立する必要があった。OAHFA はアシルセラミドから長鎖塩基を除いた構造を持つ(ただし,ω 位にエステル結合したアシル基はアシルセラミドではリノール酸であり,OAHFA ではヒトでオレイン酸,マウスでパルミトオレイン酸である)。そのため,OAHFA に特徴的な ω-水酸基を導入する酵素として,アシルセラミド産生において同定した CYP4F22(マウスでは Cyp4f39)が働いていると予測した。実際,Cyp4f39 変異マウス(新生致死性を回避するため,表皮以外の組織で Cyp4f39 が欠損するように設計されたマウス)を作成し,マイバム中での OAHFA 量を測定した結果,コントロールマウスの 1/5 まで低下したことから,CYP4F22/Cyp4f39 の OAHFA 産生への関与が示された2)プレスリリース原稿)。Cyp4f39 変異マウスは瞬き数の亢進,涙液層破壊時間の短縮,角膜上皮障害の亢進といった典型的なドライアイ表現型を示し,OAHFA のドライアイ防止における役割が初めて明らかとなった。

 生化学研究室では,OAHFA をはじめとした多くのマイバム脂質を分離・定量する質量分析法(LC-MS/MS)を確立した。各マイバム脂質の分離・分析のためには,それぞれの脂質の標準品の存在が不可欠である。しかし,多くのマイバム脂質には標準品が存在しなかったため,生化学研究室では独自にそれらを化学合成して標準品を調製し,液体クロマトグラフィー(LC)での保持時間,タンデム質量分析におけるプロダクトイオンの設定を行った。これらにより,OAHFA の測定が可能となっただけでなく,これまで正確に測定されてこなかった他のマイバム脂質群の測定も可能となった。例えば,マイバム脂質にはワックスジエステルが存在している(~ 7%)ことが知られていたが,それらの詳細な構造は明らかになっていなかった。ワックスジエステルには,水酸化脂肪酸を骨格としたタイプ 1 とジオールを骨格としたタイプ 2 が存在し,それぞれはさらに水酸基の位置によって α と ω,つまりタイプ 1α あるいは ω とタイプ 2α あるいは ω に分類される。生化学研究室では,マイバム脂質中にタイプ 1ω,タイプ 2α,タイプ 2ω ワックスジエステルが存在することを明らかにし,このうちタイプ 1ω,タイプ 2ω ワックスジエステルの産生が Cyp4f39 依存的であることを見出した2)(図 12)。また,マイバム脂質にはコレステリル OAHFA も存在する(~3%)が,Cyp4f39 変異マウス中で消失していた。つまり,Cyp4F22/Cyp4f39 は4つの ω-水酸化脂質(OAHFA,タイプ 1ω ワックスジエステル,タイプ 2ω ワックスジエステル,コレステリル OAHFA)の産生に関わっていることが明らかとなった。

Fig12  [図拡大]

 脂質は定義上,水に溶けない有機化合物の総称であり,本来,水とは馴染むことができないはずである。それにもかかわらず,涙液では水層上に油層が安定的に維持されており,この謎の解明が涙液の研究における重要な課題の一つであった。生化学研究室では,マイバム脂質の極性を比較し,OAHFA>OAHFA 以外の ω-水酸化脂質水酸化脂質>ワックスエステル,コレステリルエステルの順に極性が高いことを明らかにした。この結果から,生化学研究室では従来の水層/両親媒性サブレーヤー/非極性サブレーヤーという単純なモデルをさらに発展させ,脂質の極性勾配モデルの提唱に至った(図 12)。このモデルは,水層側からOAHFA,OAHFA 以外の ω-水酸化脂質,ワックスエステル/コレステリルエステルという順に徐々に極性を低下させていくことで,脂質と水を馴染ませているというものである。

 生化学研究室ではこれまで不明な点の多かった,涙液油層の脂質の構造,組成,産生の分子機構,ドライアイ防止における役割について多くの新たな知見を得ることに成功し,油層形成機構,ドライアイの防止における正常な油層の形成の重要性を明らかにした。現在のドライアイ治療薬には液層をターゲットにしたものしか存在しないが,これらの知見は油層をターゲットとした新たな点眼薬の開発につながると期待される。


研究業績