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【芳香HISTORY】伴義雄 教授(薬品製造学教室)の最終講義 1985年3月

2023.10.13

1985年3月に発行された「伴義雄教授退官記念 業績集」から一部抜粋して伴義雄 教授(薬品製造学教室)の最終講義として芳香HISTORY「最終講義」に掲載しました。

旅路:昭和60年2月23日、三橋博教授、木村道也教授と共に三教授退官記念行事にお招き戴いてから一年に近い月日が過ぎ去ろうとしている。この間、教室職員の方々から再三にわたり、原稿の提出を求められながら、今日まで約束を果さなかったことを先づお詫びしなければならない。30年に近い年月を、私なりに全力を傾けた北大における研究、教育の生活を振り返って沢山の書き度いことを持ちながら、また読む方々に満足していただけないであろうという自らの非力を知る拒絶感情が交錯して、遅延して今日に至った次第である。

実は定年退官一年位前から、北大内外の方から求められるままに、比較的気楽に拙文を綴って来たのであるが、苦楽を共にした研究協力者を中心とする方々のために書き残すとなると、上記の気持が先行して、思わぬ波巡を招来して了った。お許しいただき度い。

昭和31年(1956年) 10月、帰国後直ちに北大に単身赴任したが、円山公園に近い下宿先では既に朝夕石炭ストーブが焚かれていた。秋色につつまれた間近にみる大倉山シャンツェは初めてのことで、殊の他、美しかった。薬品製造学担当助教授として任命されたが、実験室は古い木造の法医学教室の解剖準備室を化学実験室に改装して使用し、半地下の屍体置場はそのまま薬品庫となった。春先の雪が融ける頃になると、我々の実験室の前の廊下に、時には三つ位棺桶の並んだこともあり、我々としても相当強靭な神経を必要としたのである。(一部抜粋)

随想:

大学における教育の効果・・・大学世界(昭和54年5月号)より

独創と献身・・・科学の領域(34号,1980年)より

パソコンを叩いて・・・科学の領域(36号,1982年)より

日本の薬学ー過去・現在・未来・・・科学教育(31号,1983年)より